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これは盗作ではないーー北条裕子「美しい顔」について [生活と意見]


 2018年に群像新人文学賞を受賞した北条裕子の長篇「美しい顔」(「群像」6月号)は、作品が発表されたあとの6月末になって、主要な参考文献が明記されていなかったという問題についての謝罪が、群像編集部から発表された。それ以降、盗作や剽窃という言葉で作品が批判される事態になり、同作品に高い評価をあたえた論者も、それに加担したという意味で批判する人が出てきている。
 わたしは毎日新聞で担当している文芸時評(5月30日夕刊)で、冒頭でその作品を大きく取り上げ「新人賞受賞作であることを忘れ、気がつくと作品に強く引き込まれて、激しく感情を揺さぶられた。ついに二〇一一年に起きた東日本大震災を『表現』する作品が登場したと言っていい」と書き、非常に高く評価した(https://mainichi.jp/articles/20180530/dde/014/070/005000c)。参考文献未表示の問題について知った現在も、その評価については一言一句変えるつもりはない。
 けれども今回の問題を、盗作や剽窃と考える人たちのためには、もう少し丁寧な説明が必要だろう。なぜなら参考文献と類似した表現が出てくるという事態は、なによりこのすぐれた作品の根源にかかわっているからである。

          *

 群像編集部によれば、本来表示されるべきだった主な参考文献は、以下のとおりである(巻末の「告知」、「群像」8月号)。
 『遺体 震災、津波の果てに』石井光太(新潮社)
 『3・11 慟哭の記録 71人が体感した大津波・原発・巨大地震』金菱清編/東北学院大学 震災の記録プロジェクト(新曜社)
 『メディアが震えた テレビ・ラジオと東日本大震災』丹羽美之/藤田真文編(東京大学出版会)
 『ふたたび、ここから 東日本大震災・石巻の人たちの50日間』池上正樹(ポプラ社)
 「文藝春秋」二〇一一年八月臨時増刊号『つなみ 被災地のこども80人の作文集』(企画・取材・構成 森健/文藝春秋)
 もちろん作者はこれらの文献だけから作品を書いたわけではなく、それまで読んだり耳にしたりした言葉すべてを下敷きにしている。しかしそれらが明記されるということは、作者が信頼して読んだ文献だという意味であり、あるいは作品を書き終わったときに、それらなしでは作品が成立しなかったと作者が感じたということである。
 これらの参考文献と類似した表現が出てくるという事実だけを見て、作品を批判的に見ようとする人たちが知りたいのは、どうしてそのような表現が出てくるのかという理由だろう。だからとりあえず、作者側の時系列で考えてみる。
 この2011年に起きた東日本大震災後の被災地を舞台にした作品で、作者は「被災地に行ったことは一度もありません」(「受賞のことば」、「群像」6月号)と明言しているので、最初に位置するのは被災地を取材した参考文献を読んだという体験である。そして次に作品を書きはじめるという行為があるが、そこで生まれてきたのが津波に襲われた町で被災した、17歳の女子高校生の語り手である。
 その語り手の大きな特徴は、7歳になる弟「ヒロノリ」を連れて震災当日から行方不明になっている母親の行方を探しているが、情報も物資も救援も足りない避難場所へ取材にきたテレビの取材を受けてから「母親との再会を信じて待つ少女」という役を演じるようになっていることである。それは新聞やテレビといったマスメディアが欲望するわかりやすい被災者像であり、実際にそのおかげで避難場所の状況が改善したりもする。もちろん演じている語り手の「私」は、マスメディアを裏切って利用しているつもりだが、そのような「私」を造形したところで、被災者ではなく被災地に行ったこともない作者による表現は小説として生きはじめていると言っていい。
 作品全体の流れを説明すれば、そうしてマスメディアが欲望する役のなかに逃げ込み、いわば妄想の世界に生きるようになった「私」が、弟の「ヒロノリ」や母の友人といった登場人物との関係から、震災後の現実に直面しなければならなくなるというものである。その意味で「私」が直面する、震災後の現実にほとんどそのまま結びつく場面を取材している、石井光太の『遺体』は、参考文献のなかでも別格の位置にある。群像編集部からの発表で「大きな示唆を受けた」とあるのもそのせいだが、したがって作品の大きな山場となるその場面に類似の表現が出てくることと、それ以外の場所で類似の表現が見つかることの意味は、区別して考えなくてはならない。
 いわば参考文献と類似の表現が出てくるのは、そうして妄想の世界に生きるようになっている「私」が現実の世界を思い出さなくてはならない場面だが、その例として「私」が震災当日からテレビの取材が来るまでの出来事を回想している部分を見てみる。

《五日間、本当にどこからも救助はこなかった。一切の情報もなかった。他の地域のことも噂としてしか入ってこない。ラジオもこの地域のことは何も言わない。子どもがいつもどこかで空腹のために泣いている。便器には便が溜まっていく。バケツに用を足してもそれを流す水がない。校舎の屋上にSOSと書いたが反応はない。そろそろ一度も自宅に帰らずにいるのも限界と言って無理やり出ていく人がある。だけど遠くまで行けば胸まで泥水に浸かることになる。着替えはない。泥を落とす水もない。つまり行けばもう戻ってこられない。家も残っているのかはわからない。道は泥水で底が見えずマンホールのふたも空いているという。それでも自宅へ向かう人がいる。行った人の安否はわからない。誰かがこれは地獄だという。なぜ警察も自衛隊も助けに来てくれない。日本はどうなってしまったんだ。この地域の被害を外の人は誰も気づいていないのか。それとも日本列島は私たちのところを残してみんな海に沈んでしまったのか。空腹のあまりそんなことばかり考える。今日にでも救助がこなければもう限界だ。水も、毛布も、薬も、食べ物も、今日にでも運んでもらえなければもうおしまいだ。今日にでもこの低体温症で死にそうな老婆と、この人工透析をしている男性をヘリで病院へ運んでいってもらえなければおしまいだ。私たちは限界だった。
 そんなときだった。  この体育館に、東京のテレビ局の腕章をつけた人がカメラを持って現れたのだった。
 外部の人がはじめて入ってきた、これでようやく情報がもらえる。そう思って私たちは飛びついた。するとマイクをあてがわれたのは私たちのほうだった。》(「美しい顔」、「群像」6月号25〜26頁――太字は引用者)

 この部分は、金菱清編『3.11 慟哭の記録』(新曜社)に収められた、石巻市日和が丘の被災者による手記「石巻は火と水と寒さ」にある、次のような記述を下敷きにしている。

《一日目より二日目、さらに体育館へ避難する人が増えて、夜は眠るのに体を丸めて知らない人と体をくっつけて動くこともできず、時々大きな余震が来るたびに、あちこちから悲鳴が聞こえたり、子供が空腹のために泣いたり、早く夜が明けないかと時計ばかり見ていました。皆携帯電話がつながらず、外との連絡がとれない事で不安が増していました。なぜ警察も、自衛隊も助けに来てくれないのか、日本はどうなってしまったんだろうと思いました。
(……)
 四日目、やはりこの日も救援に来る人は誰もなく、どこかの人が好意で少ない食料を分けてくれるぐらいでした。私は二日目、三日目、バナナ一本ずつの食事でした。この頃トイレ事情が悪化して、水は流さないことにしていたのを、体育館には二千人以上、教室、校庭に車でいる人が使用するため、トイレの水を流さずにはいられなくなりました。そこで先生方の指示で生徒を中心に若い人達で、プールの水をバケツで汲み上げることにしました。
 この頃、体育館にいる人達の名簿を作成しました。体育館を出る時は次の避難先を告げて出て行くシステムでした。石巻は宮城で二番目に大きな町なのに、ラジオから聞こえてくるニュースは他の地区の被害ばかりで、私達の状況がこんなに大変なのに何の報道もされない事に憤りを感じていました。そんな所へ腕に新聞社の腕章を付けカメラを持った人が体育館に現れたのです。友人は写真を撮ることに怒っていましたが、私は、私達の状況を早くみんなに知らせて助けに来て欲しいと思いました。しかし少し時間が経つと今度は、私達には何の情報もないのに取材されて、私達にも情報を得る権利がある、そんなふうに思えてきて思わず記者に声を掛けたのです。》(「石巻は火と水と寒さ」、『慟哭の記憶』92〜93頁――太字は引用者)

 おそらくこの部分を書きながら、作者は語り手の「私」が生まれてきた場所の一つが、この手記であったことを意識していたはずである。なぜなら「私」はこの手記の「私」がしなかった、カメラの前でマスメディアが望む少女像を演じるという存在であり、その違いこそがこの作品をささえるものだからである。
 類似箇所を太字にしてみたが、編者や手記の著者が認めるかどうかという問題を別にして、参考文献として明示されていれば盗作や剽窃とは言えない。なぜならそれらの箇所は被災地について調べれば、事実として出て来ざるをえない言葉だからである。
 現在問題になっているのは、こうした類似箇所一つ一つが石井光太『遺体』における類似とおなじように、作者が参考文献に依拠しながらそれを隠蔽しようとしているかのように受けとられているせいだろう。そしてそれは巡りあわせとして、新人作家の作品だったということが大きく影響しているが、だからこそ群像編集部は「編集部の過失」を強調しているのである。
 順序が逆になってしまったが、もし『慟哭の記憶』や『メディアが震えた』、また『ふたたび、ここから』などが「美しい顔」の初出の時点で参考文献として記載されていれば、わたしもどのような文献からこの作品が生まれたのかを知りたくて手に取っただろう。

          *

 ではもう一度作者側の時系列に戻って参考文献との関係を考えてみると、妄想の世界に生きるようになった「私」を描きながら、作者はどのような文献を事実として参照したのかを確認するようにして、いわば「私」と現実の世界の距離を調整している。参考文献との類似表現は、そのような場所に出てくる。だからそれは、避難場所でテレビの取材を受けてから妄想の世界に生きるようになった「私」が、震災後の現実に直面するというこの作品にどうしても必要なものだし、また被災者ではなく被災地にも行ったことのないわたしのような読者が、震災後の現実に直面するとはどういうことかを実感するための手がかりにもなっている。
 そして「私」は作品の後半に入り、それまで避けつづけてきた母親の死という過酷な現実に直面する。初めて「私」が母親の遺体が見つかるかもしれない遺体安置所に足を踏み入れた場面は、こう記述されている。

《彼(警察官――引用者注)は私を体育館の外壁の前まで案内した。
「これがこの安置所に集められた遺体のリストです」
 と彼は言いたくないことを言うときの男子生徒みたいに言い、視界を覆う広さの張り紙を目で示した。それぞれのリストには番号がつけられていて、その横に名前、身長、体重、所持品、手術跡といったことが書いてある。今現在でわかっている限りの情報だという。
今日までに見つかっている遺体はこれがすべてです。お母さんと思われる特徴の番号があれば、みんなここに」
 彼は小さな紙切れと鉛筆を手渡した。
「あとで実際に目で見て確認していただきますから」
 壁の遺体リストに記載されている特徴にはかなりの違いがあった。すでに身元が特定され住所や勤め先の会社名まで記してある番号もあれば、〈性別不明〉〈所持品、衣服なし〉としか情報が載っていないものもある。〈年齢三十歳〜六十歳〉とものすごい幅のあるものもある。私には性別が不明になってしまっているということがどういうことなのか想像さえできなかったのに背中にすっと冷たいものが流れていった。》(「美しい顔」、「群像」6月号39頁――太字は引用者)

 これはすでに検証と指摘があるように、石井光太『遺体』の次の記述をなぞるようにして書かれている。

《警察官はうなずき、「こちらへどうぞ」と遺族たちを校舎の側へ案内する。壁にはここに集められた死亡者のリストが貼ってある。紙にそれぞれの遺体につけられた番号が記されており、その横に名前、性別、身長、体重、所持品、手術痕などわかっている限りの情報が書かれているのだ。警察官が安置所に運び込まれた遺体を一体ずつ丁寧に調べて明らかにした情報だった。
今日までに見つかっている遺体はこれがすべてです。ご家族と思われる特徴のある方がいれば何体でもいいので番号を控えて教えてください。実際に目で見て確認していただきます」
 家族たちが食い入るように見つめる。死亡者リストに記載されている特徴にはかなり違いがあった。すでに名前や住所まで明らかになっているものもあれば、波の勢いにもまれて傷んでしまっているために「年齢二十歳〜四十歳」「性別不明」「衣服なし」としか情報が載っていないものもある。家族たちは声を潜めて話し合い、それと思しき遺体につけられた番号をメモしていく。》(新潮文庫版『遺体』49〜50頁――太字は引用者)

 この場面につづいて「隙間なく敷かれたブルーシートには百体くらいはあるだろう遺体が整列していて私たちはその隙間を歩いた。すべてが大きなミノ虫みたいになってごろごろしているのだけれどすべてがピタッと静止して一列にきれいに並んでいる」や「大きなビニール袋をかかえてすれ違う警官からうっすらと潮と下水のまじった悪臭が流れてくる」という記述が「美しい顔」にあり、それが『遺体』の「床に敷かれたブルーシートには、二十体以上の遺体が蓑虫のように毛布にくるまれ一列に並んでいた」や「遺体からこぼれ落ちた砂が足元に散乱して、うっすらと潮と下水のまじった悪臭が漂う」という記述と重なることもあって、それらの部分だけをならべて見ると盗用に見えかねないことは事実である。ここでは明らかに文学的な表現を放棄したような、震災後の現実に取材した信頼できる文章をなぞるしかないという書き方が選ばれているからである。
 どうしてそのようなことが起きるのか。わたしはそれが、マスメディアが望む役割を演じつづけてきた語り手の「私」が作者に強いたものであり、いわば生き物としての小説という表現形式がもたらしたものだと思う。なぜなら「私」は、なによりマスメディアのように震災後の現実を自分たちに都合よく表現する者に対して憤っているからであり、それはここでその「私」を震災後の現実と対面させようとしている作者もまた例外ではないからである。
 つまり作者はマスメディアの震災報道の欺瞞を暴く「私」を、それまで生き生きと描いてきたがゆえに、ここでは震災後の現実を自分に都合よく表現することができない。仮に作者がこの場面を自分なりの表現にしてしまえば、その時点で語り手の「私」はリアリティを失い、作品は死ぬ。だからこれは、学生のレポートなどと同列に論じられる問題ではない。
 作者がここで突き当たっている表現上の問題は、日本の近代文学史上でもそれほど例がない、きわめて根源的で解決困難なものである。
 下敷きにした資料の言葉をなぞるしかない、という書き方になっているという意味で比較することができるのは、おそらく井伏鱒二が1966年に刊行した長篇『黒い雨』ぐらいである。それは1945年に広島に落とされた原子爆弾の被害を描いた作品だが、作者である井伏鱒二自身は被爆者ではなかったという点で、被災地を描いた「美しい顔」と被災者ではない作者の関係に重なる。
 たとえばそこに、原爆投下直後の様子を描く、次のような一節がある。

頭から流れる血が、顔から肩へ、背中へ、胸から腹へ伝わって、どす黒い血痕をつけている者は数知れぬ。まだ出血している者もあるが、どうする気力もないらしい
 両手をだらりと垂れて、人波に押されるまま、よろめきながら歩いている者。
 目を閉じたまま、人波に押されてふらふらしながら歩いている者。
 子供の手を引いていて、他人の子供だと気がついて「あッ」と叫び、手を振りはなして駈け去る女。「小母ちゃん、小母ちゃん」と、その後を追う子供。六七歳の男の子であった。
 我子の手を引いていて、人波に押されて手を放した親爺。これは子供の名を連呼しながら人の流れに分けこんで、突きのけた人から二つ三つ擲られた。  老人を背負った中年の男。病気らしい娘を背負った父親らしい男。》(井伏鱒二『黒い雨』――太字引用者)

 そしてこの場面は、のちに『重松日記』として刊行される、広島で被爆した重松静馬が記録した日記を参照している。こうした対応は、それ以外の箇所でも複数存在する。

頭から流れた血が、顔から肩へ、背中へ、胸から腹へ、どす黒い血痕。まだ出血しているらしいが、どうする気力もないらしい。両手をだらりと垂れて、人波に押されるままに歩いている。
 我が子の手を引いていると信じていたのは、近所の子供だったらしい。アッと叫び、子供の手を振り切って引き返す婦人。その後を追って、おばちゃん/\と、連呼してゆく六七歳の男児とが、人混みに消えていった。
 我が子の手を引いて居た父親らしい男が、人波に押されて手が放れたらしい。狂気して、人を押したり突きのけたりし乍ら子供の名を呼んで、横切らんとして突きのけた男に、続けて二三回殴られたのを見た。
 老人を背負った者、病人らしい年頃の娘を背負った者もいる。》(重松静馬『重松日記』――太字引用者)

 太字の類似箇所の分量を見ればわかるように、ここで井伏鱒二は、原爆投下後の広島を表現することをほとんど放棄している。どうしてそのような書き方になるのかと言えば、それは井伏鱒二が原爆投下という事実は表現できない、あるいは表現すべきではないと考えていたからである。
 表現できないということは、言い換えれば別のものに置き換えられないということであり、だからこのような『黒い雨』の書き方は「原爆投下は戦争を早く終わらせるために必要だった」という言い方や「原爆という兵器は世界から戦争をなくすことができる」という思想と鋭く対立する。
 これは文学の側から見れば、言葉が現実に敗北しているということだが、作者がその敗北を受け入れてまで言葉を書きつけたことによって、原爆投下という事実は表現すべきではないという意味をもつ表現がそこに成立する。もちろんこれは名文家であった井伏鱒二が、故郷である広島に落とされた原爆に抗議するために、ぎりぎりのところで選んだ表現のあり方である。
 こうした表現上の問題と比較したとき、石井光太『遺体』を下敷きにした「美しい顔」の場面は、表現すべきではないものを表現しているという書き方になっていることがわかる。そしてそのような書き方による場面を経て、ようやく語り手の「私」は震災後の現実を理解する。作者がどこまで意識的だったのかはわからないが、だから震災後の現実を自分に都合よく表現しない、文学的表現を放棄したその場面なしには、被災者である「私」が過酷な現実と向き合うというこの作品は成立しない。言い換えれば作者は文学的表現を放棄することで、マスメディアが望む幻想の世界から現実の世界へと出た「私」を生かしている。
 参考文献と類似した表現が出てくるのは、こうして「私」の造形がもたらす必然性があるのであり、そこに首尾一貫しているものがあるからこそ、過酷な現実を引きうけなければならない「私」の言葉に強い説得力が宿っているのだとわたしは思う。

          *

 ではこうして成立した作品は、どのように発表されればよかったのか。
 もし作者が新人作家でなければ、編集者や出版社を通じて参考文献の著者や編者に確認や許可を求め、同意が得られれば参考文献として明示し、そのまま発表されただろう。またもし同意が得られなければ、その時点で下敷きにしたことが明らかな部分は書き換えられなければならないが、その場合は「私」が直面する震災後の現実はいささか迫力を失ったかもしれない。
 けれども今回は新人賞に応募された新人の作品だったせいで、そうした書き方になっているという事実も参考文献が明示されるべきだったということも、文学賞の候補作になるほど高い評価があたえられてから明らかになったことが、非常に不幸な巡り合わせだった。あとから参考文献に名前が挙げられた著者や編者にしてみれば、自分たちの文献による貢献を隠したまま不当に評価があたえられたように感じられたかもしれないし、そもそも小説の参考文献としてあつかわれることを許可しなかったかもしれないからである。その点では群像編集部が表明しているように、それらの著者や編者たちと「誠意をもって協議」していくしかないだろう。
 最後に被災者ではなく、被災地に行ったこともない作者が、被災地を舞台にして被災者を描いたということに対する批判について、一言つけ加えておきたい。
 たしかに被災者や被災地について書くのは、被災者や被災地に行った人がふさわしいという考え方は、事実を語ろうとする作品では当然のことである。しかしフィクションである小説の場合、かならずしもそうではない。
 たとえば戦争に行ったことのある人しか戦争について書けないということになれば、小説で描かれる戦争はほとんど意味を失ってしまう。実際、一九四五年の敗戦から七十年以上戦争をしていないことになっている戦後日本では、戦争についての表現自体が現在ほとんど成立しないことになるが、それでは戦争について考えることもできないし、非常に困ったことになるだろう。しかし本来小説は、作者が経験していないものや現実に存在していないものにさえ近づける表現形式であり、それは被災者や被災地の場合でも同様ではないだろうか。
 なぜならこの作品が画期的だったのは、新聞やテレビといったマスメディアの前で被災者や被災地を見ていただけの、少なくない数の日本人がそうだったような被災者ではなく被災地に行ったこともない人たちの感覚を、マスメディアが望む役割を演じる「私」という語り手によって被災者と被災地に結びつけたことだからである。おそらくそれは被災者ではなく被災地に行ったこともない作者だからこそできたことだが、その意味で「美しい顔」における被災者と被災地をめぐる表現は被災者や被災地に行ったことのある人だけではなく、被災者ではなく被災地に行ったこともない人たちのためのものでもあろうとしている。
 もちろんそれは、被災者と被災地のために震災後の現実に取材した誠実な文献があって初めて可能だったが、だからこそ「美しい顔」の表現が参考文献と無縁なものになることが解決なのではない。小説として「美しい顔」が読まれることによって、さらにそこに収まらない切実な事実がいくつも記録された参考文献も、それを手に取ったことのない読者に読まれることになり、被災者と被災者ではない人たちのあいだにある壁が少しずつ崩されていくことが重要である。そしてそれは震災後の現実を描いたノンフィクションも小説もそれぞれ別の方法で立ち向かっている、震災を経験した21世紀の日本にとってもっとも切実な課題ではないだろうか。
 結論をくり返そう。これは盗作ではない。傑作である。
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室井光広「世界文学ゼミナール」第5回 [イベント案内]


さて日程も迫ってしまいましたが、
今年度最後のゼミナールが今週の土曜にあります。
興味のある方はぜひご参加ください。

・2015年度の予定
〈第1回〉室井光広『柳田国男の話』1    ■ 5月 9日(土)10時半~
 終了! 場所:法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー7階706教室
〈第2回〉室井光広『柳田国男の話』2    ■ 7月11日(土)10時半~
 終了! 場所:法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー7階706教室
〈第3回〉プルースト『失われた時を求めて』1★10月10日(土)10時半~
 終了! 場所:神奈川県中郡大磯町 田代家(大磯910、大磯町立図書館駐車場隣)
〈第4回〉プルースト『失われた時を求めて』2★12月12日(土)10時半~
 終了! 場所:法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー7階706教室

〈第5回〉プルースト『失われた時を求めて』3★ 2月20日(土)10時半~
     場所:法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー7階706教室
 注目! 課題:『失われた時を求めて』を読めるところまで読んでくること

※2016年度は、セルバンテス『ドン・キホーテ』と、カフカを取り上げる予定です。

・受講について
 〈受講方法〉原則自由参加ですが、できれば事前に下記連絡先までお知らせください。
 〈参加費〉 各回1000円(お茶・資料代)。
 〈テキスト〉第5回は、第4回に引きつづきどの翻訳でもよいのでプルースト『失われた時を求めて』を準備してきてください。
 〈連絡先〉 ◇田中 和生(ゼミ長) メールアドレス:she-ep@cf6.so-net.ne.jp
       ◇寺田 幹太(副ゼミ長)メールアドレス:kantaterada@gmail.com
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2015年12月 [文芸時評]


毎日新聞2015年12月21日の夕刊に、12月の文芸時評が掲載されました。

《十一月にフランスのパリで同時多発テロ事件が起き、世界秩序の混沌(こんとん)が現実のものとなってきた。現在の世界は大きな曲がり角に立っているが、そのような意味で今年最大の文学的事件は、ミシェル・ウエルベックの長篇(ちょうへん)小説『服従』(大塚桃訳・河出書房新社)の刊行だ。フランスでの発売日が、一月に起きた新聞社「シャルリー・エブド」襲撃事件当日で、近未来のフランスでイスラーム政権が誕生するという内容だったことも、結果として象徴的だった。……[全文は毎日新聞で]》

取り上げたのは、
・ミシェル・ウエルベック『服従』(河出書房新社)
・金石範「終っていなかった生」(「すばる」1月号)
・リービ英雄「ゴーイング・ネイティブ」(同前)
・牧田真有子「絵姿女房への挨拶」(「群像」1月号)
・綿矢りさ「履歴のない妹」(「文學界」1月号)
の5作です。

服従

服従

  • 作者: ミシェル ウエルベック
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2015/09/11
  • メディア: 単行本



すばる 2016年1月号

すばる 2016年1月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2015/12/07
  • メディア: 雑誌



群像 2016年 01 月号 [雑誌]

群像 2016年 01 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2015/12/07
  • メディア: 雑誌



文學界2016年1月号

文學界2016年1月号

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/12/07
  • メディア: 雑誌



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