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富山文学読書法について [郷士主義宣言論文集]

最近いくつかお叱りを受けましたので、ちゃんと更新いたします。

掲載情報ばかりというのもサービスに欠けるので、ちょうど北日本新聞(2007年3月3日)の越中讃歌という欄に書いたものが、ブログのタイトルになっている「郷士主義」と関わる(ような気がする)ので、掲げてみます。

したがって、以下、郷士主義宣言論文1であります。

世に恋愛小説があるように、富山文学というものが存在する。すべての小説は恋愛小説として読むことができるが、おなじくあらゆる文章を富山文学として読むことのできる、富山文学読書法というものがある。わたしはもう十年以上その読書法を実践しているが、ご存じない方のために紹介したい。

きっかけはやはり、高校を卒業して上京したことだろう。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と室生犀星の詩にあるように、わたしもまた東京で暮らすようになって富山のことを思うようになった。具体的には、読んでいる本に富山に関することが出てくると、なんだか懐かしいような嬉しいような、あまり冷静ではない気持ちになるようになったのである。文学に興味をもちだしてしばらくたっていたから、とりわけ文学作品の場合に穏やかではなかった。なぜなら富山についての記述が出てくるというのは、逆に言えば富山なしにその作品は成立しないということである。まだ何者でもなかった十九歳ごろのわたしにとって、富山で生まれ育ったという事実だけを根拠にして感じられるその誇らしい感触は、ささやかなものであるが実に貴重なものだった。

わたしが大学生だった一九九〇年代の半ば、なによりぴかぴかと輝いて見える現代作家の名前は村上龍と村上春樹だった。本を読んでいて富山が出てくると嬉しいという感じから、富山についての記述を探すために本を読むといういささか倒錯した読み方をしはじめていたわたしが、だから村上龍のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』でそれを見つけたときの感動は大きかった。酒を飲んでは吐いてばかりいる、主人公「リュウ」の仲間「ヨシヤマ」の出身地が富山なのである。「リュウ」の部屋で「ヨシヤマ」は言う。「あれから富山に帰ったよ。レイ子から聞いたやろ? リュウのとこ行った後や、おふくろが死んだんや、聞いてたやろ?」

ということはつまり、富山なしに村上龍のデビュー作はなくて、村上龍という作家もなかったってことだ。そうすると要は、日本の現代文学がなかったってことだ。ってことはおれ(=富山)なしに文学はありえないってことかあ?

あまり冷静な読み方とは言えないが、東京にある県人会の古い寮で、カギもうまく掛からない三畳の部屋に逼塞する二十歳前後の若者のうわごとである。お許し願いたい。

そうなると、気になるのは村上春樹の方である。もう「おれ(=富山)なしに現代文学はありえない」ということになっているから、村上春樹の登場にも富山がかかわっているはずだ、いや、いるべきだ。そういう脳内妄想の進んだわたしは、目を皿のようにしてそのデビュー作『風の歌を聴け』を読んだ。

……おかしい。富山は出てこなかった。しかし村上春樹の登場に、いや現代文学にそれは重要な役割を果たしていなければならない。わたしは探索の範囲を、村上春樹の商業的な出世作である『ノルウェイの森』まで広げた。すると、やはり富山は見つからなかったが、代わりに謎めいた一行が残された。主人公「僕」が、物語の最後までかかわる女の子「緑」と最初に出会ったときに交わすせりふである。

「金沢から能登半島をぐるっとまわってね、新潟まで行った」

わたしはそのせりふの前でひとしきり首をひねって、どうして「金沢」と「能登半島」と「新潟」が出てくるのに「富山」は出てこないのだろう、そこにはなにか深い意味があるに違いないと思った。その瞬間、わたしは富山文学読書法を理解したのである。

あたり前のようであるが、この世に存在するあらゆる文章は富山について書いてあるか、富山について書いてないかのどちらかだ。富山が出てくる文章はもちろん富山文学であるが、同時に富山が出てこない文章も「どうして富山について書かれていないのか」と問うことのできる、富山文学である。ちなみにこれは、「富山」を「恋愛」や「死」と入れ換えても成り立つ。だから人の死をあつかわない文学作品はないし、あらゆる小説は恋愛小説として読むことができる。

そういう読み方をすると、たとえば戦後日本を代表する吉本隆明氏の思想は富山文学である。「戦争の夏の日」というエッセイによれば、カーバイト工場の徴用動員だった吉本氏は敗戦の日を富山県の魚津で迎えた。軍国少年だった氏が頭のなかをまっ白にして部屋で泣いていると、寮のおばさんが「喧嘩をしたか、寝てなだめるのがいい」と言って布団を敷いてくれたという。この敗戦のショックを喧嘩の涙だと誤解されたことが、おそらく大衆の原像を追い求め、無名の存在の言葉を自らの思想にとり込もうとする吉本氏の考え方の原型をかたちづくっている。もちろん吉本氏の思想に富山は出てこない。けれども魚津にいた無名の女性が「喧嘩をしたか」と言わなければ、その思想はなかったかもしれないし、戦後文学も違ったものになっていたかもしれない。

ふざけていると思われるかもしれないが、わたしはこうやってその読書法を利用して溜めてきた富山文学のリストを使って、いずれ富山という視点から読み直したまったく新しい日本文学史を書いてみたいと、かなり本気で思っている。


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