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川上未映子さんの作品について [生活と意見]

一読者の指摘にはじまり、この数ヶ月にわたって津原泰水さんの公式ホームページ「aquapolis」掲示板を主な舞台に議論が展開された、川上未映子さんの尾崎翠についてのコラム「尾崎翠 第九官界彷徨」における角秋勝治さんの「第七官界彷徨ー尾崎翠を探して」映画評からの盗作疑惑、および小説「わたくし率 イン 歯ー、または世界」における津原泰水さんの小説「黄昏抜歯」からのアイデア盗用疑惑ですが、アイデア盗用の被害者である津原さんが、状況証拠として第三者の固有名を含むかたちで川上未映子さんが津原さんのご著書『綺譚集』を読んでおられることを示唆する記事「宣告はつらい」を書かれました。

《これをユリイカ山本充は僕の目の前で、川上未映子に読むように勧めている。ましてや川上未映子はその前後に位置する『ペニス』と『ブラバン』を、おおやけに称賛している。「『綺譚集』だけ知りませんでした」は通らない。》(http://6300.teacup.com/osamun/bbs/t8/315

それを受けて、文芸評論家として表明しておくべきことを表明しておきたいと思います。

まずコラムにおける盗作疑惑ですが、

・川上未映子さんが「月刊songs」に掲載したコラムを加筆修正して2005年3月の日付で川上さんの公式ブログ「純粋非性批判」に転載したもの
http://www.mieko.jp/blog/2005/03/post.html

と、

・角秋勝治さんが2001年5月13日付「日本海新聞」に掲載した映画評をホームページ「尾崎翠フォーラム」に転載したもの
http://www.osaki-midori.gr.jp/_borders2/EIGA/3-EIGA/3-EIGA/HYORON.htm

比較すればわかるように、川上さんは尾崎翠の小説「第七官界彷徨」の物語内容について誤った記述をしており、その記述が映画「第七官界彷徨ー尾崎翠を探して」内でアレンジされた小説「第七官界彷徨」について角秋さんが映画評で紹介されているものに語彙も内容も酷似しています。

これは明白な盗作であると同時に、尾崎翠の小説「第七官界彷徨」を読まずにそれを紹介している文章であり、わたしはこのような文章を原稿料が発生するものとして書いている書き手を文学者と見なす文学観をもっていません。ただし、この文章は川上さんが詩や小説を発表される以前のものであり、それ以降の文章がそのように書かれていない、盗用コラムは現在の川上さんとは別人のものである、と過去の文章についての謝罪あるいは釈明がなされれば、現在の川上さんにその文学観を適用することを覆すのに吝かではありません。

次に小説におけるアイデア盗用疑惑ですが、

・川上未映子さんが2007年に「早稲田文学」0号に発表されて、現在は講談社文庫に入っているもの

と、

・津原泰水さんが2002年に「小説現代」に発表されて改題の上2004年に刊行された短篇集『綺譚集』に収録され、現在は創元原推理文庫に入っているもの

の詳しい比較は津原さんご自身の承認を得ているものが、
http://wave.ap.teacup.com/radiodepart/
で読むことができます。

思考が脳ではなく歯に宿るという奇想だけでなく、物語展開としての構造も似てしまうというのは偶然とは言い難く、これでは川上さんが津原さんの作品からアイデアを盗用していると見なされても仕方ありません。今回の津原さんの告発文は、そのことを裏書きするものです。

本来これは作品内で語り手が津原さんの短篇に言及していたり、作品外で作者がオマージュやパロディであると公言していたりすれば、出来不出来は別にして創作としてまったく問題ないものです。けれども発表から津原さんの公式ホームページの掲示板における騒動をへて現在にいたるまで、作者である川上さんからはそのような表明はなく、したがってそれは川上さんがアイデア盗用をする書き手であることを示す作品でありつづけています。

わたしが以上の事実を知ったのは、2010年9月に刊行された尾崎翠の映画台本を原案とする津原さんの小説『琉璃玉の耳輪』を読んでその公式ホームページを訪れてからであり、よってそれまでアイデア盗用の可能性のあるものとしてその作品を読んだことはありません。わたしは過去に2度、共同通信の配信記事として担当していた文芸時評「文学の羅針盤」で川上さんの作品を取りあげています。ここにその該当部分を採録しておきます。

《二〇〇七年度の上半期と下半期の芥川賞受賞者がそれぞれ受賞後第一作を発表している。上半期の諏訪哲史は長編「りすん」(「群像」三月号)、下半期の川上未映子は短編「あなたたちの恋愛は瀕死」(「文學界」三月号)。
 残念ながら諏訪哲史「りすん」は、内容としては言葉に対する自意識という、この二十年でオーソドックスになった主題をうまく作品化した芥川賞受賞作『アサッテの人』の自己模倣に陥り、書き方としてはリアリズムの言葉の限界を意識しない、非リアリズム的な言葉のたれ流しで登場人物を作者の奴隷にしている。言葉に対する自意識がどこまでいっても作者自身のものから出ないので、どんな奔放な言葉も平板に響くのだ。
 一方の川上未映子「あなたたちー」は、女性としての自意識を追求する言葉という点ではこれまでの作品の延長線上にあるが、その自意識が相対化される男性の視点が新しく導き入れられているところが面白い。結果として、恋愛に憧れながらも踏み込めない自意識過剰な女性が、勇気を出して声をかけた男性に殴り倒されるというドタバタ喜劇に仕上がっている。ここでは自意識の暴走にまかせるような非リアリズム的な言葉の限界がよく意識されている。》(「文学の羅針盤」2008年2月)

《川上未映子の力作「ヘヴン」(「群像」8月号)もまた、物語の力を感じさせる長編だと言える。語り手は中学2年の「僕」で、ひたすら過酷ないじめに耐える日々が描かれる。主要な登場人物はおなじ教室で女子からのいじめを受ける「コジマ」だけで、クラスメートの目を盗んでやりとりする手紙と、たまに一緒に出かけて交わす言葉が作品を覆う「交通」のほぼすべてである。読者はそのいじめの日々の出口を求めるようにして読み進めることになる。
 作者はこれまでの言葉が言葉を呼ぶような書き方を止め、難解な言葉を使わずひらがなを多用し、できるかぎり「わかりやすい」言葉で書くことを目指している。その意図はいい。だがそれはあらかじめある小説の型をなぞり、結末の内容に作品の価値を委ねる消費物としての物語を書く結果になっている。物語の鍵となる「僕」の母や「コジマ」の父といった人物まで作者のあやつり人形に見え、結末を知っての再読、三読には堪えられない。辻原のように言葉の冒険の向こうに物語の力を見出すやり方もあるのではないか。》(「文学の羅針盤」2009年7月)

取りあげたのはその時点でそれに値すると感じたからですが、もしそのときすでに行われていた川上さんのコラムにおける盗作と小説におけるアイデア盗用を知っていたら、わたしはこうして取りあげることはしなかったでしょう。なぜならアイデア盗用をする書き手によるアイデア盗用の可能性のある作品を、その月における注目すべき作品として推薦する文学観をわたしがもっていないからです。

わたしは2010年4月から毎日新聞で文芸時評を担当していますが、さしあたりの措置として今後発表される川上未映子さんの作品について、以上に述べたわたしの文学観に照らして川上さんから適切な表明がなされないかぎり、時評の対象としないことをここに宣言します。

この宣言自体には弾劾の意図はありません。

わたしは別に、川上さんの文学観とわたしの文学観が一致することを求めているのではありません。わたしはわたしの文学観にしたがって文芸時評を書いており、時評の役割はよりすぐれた作品を生み出すためのものだと考えています。もちろん川上さんの作品がアイデア盗用をしていないものであり、かつすぐれたものであるとすれば時評でぜひ取りあげたいと思っています。

けれども現状では、アイデア盗用の可能性のある作品とそうでない作品の区別がつけられません。これまで「わたくし率 イン 歯ー、または世界」が掲載された伝統ある「早稲田文学」を含め、文芸誌にはアイデア盗用の可能性のある作品が積極的に掲載されることはないと考えてきましたが、どうやら状況はそうでもなくなりつつあるようです。

したがってわたしが川上さんの作品を時評の対象とするためには、アイデア盗用の可能性のある作品を読んでそこにアイデア盗用があるかないかを検証し、ないという意味でわたしの文学観に適うものであることを確認しなくてはなりません。残念ながらこの作業は、毎月ぎりぎりの日程で対象作品を読んでいるわたしの能力を越えています。

今回の盗作や盗用についてわたしとは異なった文学観をもたれている方には申し訳ありませんが、そういう事情で川上さんの作品を時評の対象から外さざるをえません。文芸誌に掲載されたすべての作品が文芸時評の対象であると考えておられる読者のために記しておきます。

くり返しますがこれは暫定的な措置であり、今後発表される作品でアイデア盗用の可能性がないということが明白になればすぐに撤回いたします。

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KEI

田中さん、こんにちは、津原読者にして今回心ならずも川上さんの本を購入したものです

川上さんの短編
>女性が、勇気を出して声をかけた男性に殴り倒されるというドタバタ喜劇

ってそれ「イン歯ー」の自己模倣になってません?読売新聞(大阪版)に載った「星星峡」もボーイフレンドが自分を攻撃して来るという妄想がオチになってるし、彼女の思考パターンは一つしかないのでは?
by KEI (2010-11-26 10:11) 

tanakasan

さっそくのコメントどうもありがとうございます。
物語としての自己模倣自体は、そんなに珍しいものではないように思います。夏目漱石も煎じ詰めればいつもおんなじような男女の話を書いていますし、村上春樹の長篇も物語としてはほぼ同一の構造をもっています。それはその物語が作者にとってどうしても語らずにおられない、真実性の強いものだということを意味していますが、なのでおなじ物語でもその表現が深められていれば、それ自体は問題とは言えないんじゃないでしょうかね。

by tanakasan (2010-11-26 10:30) 

KEI

早速のご教示ありがとうございます
村上春樹にお金を出さなくてよかったと思いました
純文とは無縁のミステリ読みに戻ります、では
by KEI (2010-11-26 15:01) 

灯

田中和生様

初めまして。灯と申します。
まず、文学の現状に絶望しかけていた一文芸愛好者として、田中和生様の毅然としたご姿勢によって非常な勇気を与えられたことを、心から感謝申し上げます。

何より僕が嬉しかったのは、田中和生様がご自身の文学観を身をもって守られたということです。つまり、ご自身の文学観を本当に信じていらっしゃることをはっきりと示して下さったことに大きな喜びを感じたのです。文学について高邁な所説を述べる方は、たくさんいらっしゃいますが、それを真に信じている方はとても少ないと僕は考えています。世にいかに言行一致の人が少ないか。それは、こうした「危機」の時代にはっきりと分かります。

盗用盗作は創見に反します。もし創見が軽んじられ、盗用盗作が跋扈すれば、いずれは盗用盗作すら不可能になります。なぜなら、そこには一切の創見が存在しなくなるからです。だから、盗用盗作を見過ごす風潮を肯定してはならないのです。僕はそう考えています。

余人が何と言おうと、僕は田中和生様が一切の私心なく、このたびの表明をなさったことを信じます。そして、田中和生様に対する尊敬と感謝の念を決して忘れることはないでしょう。ありがとうございました。

-満腔の敬意をもって
灯拝
by 灯 (2010-11-26 20:47) 

tanakasan

灯さん

田中です。
コメントどうもありがとうございます。
激励の言葉もありがたく頂戴いたします。
ただわたしとしては今回の問題を知った以上、文芸評論家として当然のことをしているというつもりでして、そんなにお褒めいただくと面映ゆい思いがいたします。
書き手としては、読者が望んでいた言葉を自分のものとして書きつけられたというのは、それだけで本望です。
ではわたしの言葉を肯定してくださったお礼まで。
by tanakasan (2010-11-27 21:01) 

米

田中さんこんばんは。初めまして。
http://isidora.sakura.ne.jp/isi/ran67.html
このサイトを御覧下さい。
ファンタジー評論家の石堂藍氏が「わたくし率イン歯ーまたは世界」と「黄昏奥歯」の比較検証をし、「両者は似ていない」と結論しています。
これについて田中さんはどんな意見をおもちですか?
by 米 (2010-12-09 23:40) 

tanakasan

米さん

こんにちは。
コメントどうもありがとうございます。
ご指摘のサイトの記事は拝見しております。
石堂藍さんは、僕自身の用語の感覚では「盗作」に近い意味で「盗用」という言葉を使っておられるように思います。なので「盗作ではない」という意味で「両者は似ていない」という結論には、僕としてもまったく異存がありません。
僕が問題にしているのは「アイデア盗用」です。たとえば「わたくし率 イン 歯ー、または世界」を肯定的に評価していた人の多くが「意識が歯に宿る」という着想を称讃していたと記憶しています。これは必要があればすべてチェックして示しますが、文学作品の評価の部分を担当する文芸評論家として言えば、この称讃は本来津原さんの「黄昏抜歯」にあたえられるべきものです。もしその着想の部分が津原さんの作品へのオマージュだと公言されていれば、先行する作品である「黄昏抜歯」のアイデアか、あるいはそれに着目した「わたくし率 イン 歯ー、または世界」と「黄昏抜歯」の両方が称讃されたかもしれませんが、現実にはそうなっていません。
文芸誌に掲載されている文学作品が、本当に日本語による創作の最先端であるとするなら、ジャンルにかかわらずすぐれた着想を先に作品化していたものが存在すれば、仮にアイデア盗用ではなく偶然の類似だったとしても、それに対する称讃と評価を惜しむべきではありません。よって川上さんにはこの点について、なんらかの意見を表明する必要があるというのが僕の文学観に照らした意見です。それができないようであれば「純文学」の看板は最先端に「見える」だけの張りぼてと化します。わたしはそのような張りぼての可能性がある作品を、日本語による創作の最先端として読むつもりがないし、文芸誌に掲載される作品がそのようなものであるべきではないと考えています。
このような回答で答えになっておりますでしょうか。
by tanakasan (2010-12-10 11:59) 

米

田中さん、非常に丁寧な解答ありがとうございます。
おっしゃる意味はよくわかります。確かに、「川上さんが意思表明をすべきである」という議論もある一方で、その前に、果たして本当に盗作なのか?という問題があります。例えば、重要なアイデア部分の類似があったとしても、アイデアは著作権では保護されません。そして、物語や文体はまったく別物です。また、川上さんが本当に「黄昏奥歯」を読んでいたか、事実確認もされていません。なので、盗作と断定するための証拠が決定的に不足しているのではないか、つまり盗作ではない、というのが私の意見です。ただ、津原さんが現在盗作ということを問題にしている状況なので、それに対し何かひと言あってもいいかも知れませんね。
by 米 (2010-12-10 17:18) 

米

あけましておめでとうございます。
連続投稿失礼します。
早速ですがブログのテーマについて意見があります。
豊崎由美さんと大森望さんの「書評王の島vol.4」で、大森さんが
尾崎翠コラムに関して「盗作云々という話では全然ないんですよ。」
わたくし率イン歯ーについて「『わたくし率…』は「黄昏奥歯」に全然似ていない」
と語っています。
また、小谷野敦さんも
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/searchdiary?word=%CC%B5%CD%D1%A4%CE%A4%B3%A4%C8%A4%CA%A4%AC%A4%E9
盗作ではないと語っています。

この二点を見ても、やはり田中さんは盗用があったとお考えですか?
by 米 (2011-01-03 00:09) 

tanakasan

米さんこんにちは。
お訊ねの件ですが、僕がブログに発表した意見を変更する必要をとくに感じません。それぞれの方が、それぞれご自分の文学観にしたがって表明された意見だと感じます。また僕のように文芸時評を担当していれば、また別の意見があるだろうとも思います。
それから僕は「盗用があった」とは書いていませんし、法的な「盗作」を問題にしているのでもありません。
創作の最先端として、文芸誌に載せられる作品が「アイデア盗用」をした状態で称讃されるべきではない、という主張をしています。
現状は「アイデアを盗用していると見なされても仕方ない」状態がそのまま放置されているので、暫定的に「アイデア盗用があった」に等しい対応をしているだけです。したがって疑惑をかけられている川上さんご本人からなんらかの表明がないかぎり、僕のブログの記事は変更されません。
by tanakasan (2011-01-03 18:00) 

米

迅速な回答ありがとうございます。
法的な問題を問わないということは、田中さんの中でも「法的に盗作ではない」ということで他の評論家の方と一致しているのでしょうか?
それだとしたら「法的な盗作」と同じ意味である「アイデア盗用」というのも「ない」ことになるとは思います。そうするとブログ記事には修正が必要になるでしょうが、それでも田中さんとしては、川上さんの意見表明を待ちたい、ということなのですね。その点は田中さん独自の文学観がはたらいているのでしょう。納得しました。
田中さんの文芸時評を楽しみにしております。それでは失礼します。
by 米 (2011-01-04 21:00) 

山茶花枯れた

田中さんは「アイデア盗用」であるのか、そうではないのか、態度をはっきりとさせてくれませんかね。あなたは文芸評論家でしょう?既に、かなりの議論や資料が提出されたはずであり、「アイデア盗用」と見なされてもしょうがない状況がどうとかより前に、田中さん自身がどう判断するかが問題でしょう。田中さんはその判断に基づいて行動を決めれば良い訳で。

by 山茶花枯れた (2011-01-14 21:33) 

烏賊娘

田中和生様

お久しぶりです。憶えておられるでしょうか。
津原BBSで飼って頂いている、ゲソゲソ言うふざけた奴です(笑)
その節は、感動をありがとうございました。
津原BBSの【拝啓】スレッドにメッセージを載せさせて頂いたのですが、御確認頂けましたでしょうか……。

田中さんの御本で勉強させて頂きますと宣言しておきながら、正直かつ失礼な話、まだ一冊も購入できてない状況です……。私は怠け者なうえに、貧乏暇なしというやつなんです。調子のいいやつで、誠に申し訳ありません。

『あの戦場を越えて』などはまず真っ先に拝読させて頂きたいと思っているのですが、どういうわけか読みたくないのに読まざるを得ない本を買い、買っては精読するというような苦行をここ一ヶ月ほど繰り返しています。

年明け早々にこのような事情と併せて御挨拶するのもどうかと思い、ここにコメントを投稿させて頂くタイミングを見計らっていました。で、今日になりました。本日で、津原さんが公開メッセージを掲示されてからちょうど2ヵ月になります。

数名の評論家・書評家の方々がこの問題に言及されましたが、貴方の表明された御意見こそ最も真っ当なものであると、未だに一読者として捉えさせて頂いております。いつになるかは分かりませんが、必ず御本を拝読させて頂き、ここに読後の感想などを載せさせて頂ければと願っております。

最後に、不躾ながら一点だけ勉強させて頂く機会を賜りたいのですが。
大正から昭和におけるプロレタリア文学の意匠と精神は、とどのつまり自然主義文学の系譜を引くものだと誰かの本で読んだ記憶があります。この知識は間違っているのでしょうか。御教示頂けましたら幸甚です。

                                    烏賊娘拝
by 烏賊娘 (2011-01-16 12:12) 

tanakasan

烏賊娘さん、
田中です。

コメントどうも。
津原さんのホームページでのメッセージ、拝読しております。
自分の文章で、あれだけ率直な反応が返ってくるのを見られることは少ないので、僕も非常に嬉しく思っています。
今回の問題についてはずいぶんご尽力の様子で、津原さんも書いておられたように状況が変わり、問題が顕在化しつつあるのは烏賊娘さんの力が大きいと思います。

さてご質問の件ですが、僕が身につけている文学史では保田與重郎なんかの指摘があります(「文明開化の論理の終焉について」など)。プロレタリア文学の「意匠」まで自然主義の系譜を引くとは言い切りにくいですが、その「精神」は「文明開化の論理」つまり近代主義に貫かれているという点では通じるものがあるという指摘です。僕の言い方では日本の自然主義は「自分」を発見し、プロレタリア文学は「他人」を発見した、ということになります(かなり単純化しています)。近代文学は自己から見える世界を完璧に記述したい、という欲望を秘めていますから、こういう順序になるのは当然で、それらは自己の表現を完結するという系譜において結びついていると言えます。ただこういう言い方は、自然主義とプロレタリア文学に共通する問題とはなにか、という問いを立てたときにのみ有効で、そういう言い方ができるからといって、自然主義やプロレタリア文学の個々の作品がすべてその図式に収まるというわけではありません。たとえば保田與重郎はそこに共通する問題の袋小路の外に出るためのものとして、自らの日本浪曼派の文学論を位置づけていました。なので烏賊娘さんが読まれた方も、そういう問題を解決するものとしてなにか提案をされていたのではないかと思います。
簡単に答えられるのはこんな内容です。

ではご返事まで。
by tanakasan (2011-01-17 10:39) 

烏賊娘

田中和生様

早々の御返事、ならびに御教示、ありがとうございます。
私は大したことはしていません。でゲソ(笑)

書くまでもないことですが、田中さんの採られた御英断こそ本件の解決に最も貢献されていると読者の大半は捉えております。

恥ずかしながら、保田與重郎は未読です。『日本の橋』は前々から読まなければと思っているのですが、その前に『あの戦場を越えて』を読まなくちゃです。そう、改めて思わされました。いつになるか判りませんが、一冊一冊勉強させて頂くたびにここにコメントさせて頂く所存です。このたび御教示頂いた内容を踏まえたうえで、それができれば……と、怠け者のくせに欲張りなことを考えています。

今日も明日も明後日も、日本文学のために御活躍ください。
ますますの御健筆をお祈り致します。         

                                    烏賊娘拝 
by 烏賊娘 (2011-01-17 22:45) 

名もなき炉端の者より

 先日、ある機会がありまして、田中先生の所説をご紹介させていただきました。
(ドイツ、アメリカ、カナダ、オーストラリア、中国、イタリア、そして日本と多様な国々の研究者が集まった場でのことです)
私はドイツ出身の方に「ドイツなら、これだけの問題が起きていれば大新聞の一面を飾るだろう。少なくとも関係者は釈明し、身の証を立てるべきではないのか、日本のジャーナリズムは何をしているのか」と訊ねられたのです。
 そこで、私は「田中先生のブログをぜひ御覧下さい」そして、どうぞそれぞれご自分で判断していただきたいと思いますとお願いし、田中先生のご発言を紹介させていただきました。それを聞いた出席者のみなさんの間から、期せずして、拍手がわき起こったをお伝えいたします。
 田中先生のますますのご健筆をお祈り申し上げます。
 不勉強でお恥ずかしいのですが、遅ればせながら先生の太宰治論を拝読し、学ばせていただいております。
by 名もなき炉端の者より (2011-01-26 23:15) 

元木

初めまして。
2ちゃんねるで津原さんと川上さんの問題が話題になったのと同様に、芥川賞作家である奥泉光さんの問題(URL参照)も話題になりました。

http://okuizumipoppo.blog98.fc2.com/blog-entry-1.html

このブログに書かれていることを、田中さんがどう判断するのか聞かせてもらえると嬉しいです。
by 元木 (2011-02-09 00:59) 

元木

書き忘れていた事があるので、連続書き込み失礼します。

奥泉光さんが真似をしたり、盗作をした可能性はさすがに無いだろうと私は思っています。

田中さんが書かれた「言葉の冒険の向こうに物語の力を見出すやり方もあるのではないか」という文章を読んで私は共感したので、
そのブログに引用されている文章について田中さんの意見を聞きたいと思いました。

by 元木 (2011-02-09 01:13) 

名もなき炉端の者より

ご高著『新訳太宰治』、読み進むたびにおもしろく、たくさん付箋を貼りながら読み返しました。
151頁がとくに好き。
センチメンタルとお笑いくださいませ。

by 名もなき炉端の者より (2011-02-19 01:50) 

名もなき者

『新約太宰治』

タイトルの誤記、失礼ご海容下さい。

by 名もなき者 (2011-02-19 12:27) 

tanakasan

>名もなき炉端の者さま

田中です。
コメントどうもありがとうございます。
こちらの記事の内容を国際的な場でご紹介いただいたとのこと、どうもありがとうございます。またそのことを丁寧にご報告いただいたことにもお礼申し上げます。
批評の役割の一つは客観的な評価の場をつくることだと思いますので、その一助になっていれば幸いです。
それから拙著をお読みいただいているとのこと、どれほど読むに足るものなのか汗顔のいたりですが、どこかに意味のあることが書きつけられていればと祈っています。
では丁寧なコメントをいただいたお礼まで。
by tanakasan (2011-02-19 13:09) 

tanakasan

>元木さま

お知らせどうもありがとうございます。
ご指摘いただいた記事を読ませていただきましたが、正直に申し上げてどこが問題なのかよくわかりませんでした。2ちゃんねるでどう話題になったのかは知りませんが、川上さんの問題と同列に並べられるような問題とはわたしは思いません。
もしこの感想が間違っているとすれば、それはわたしの批評眼の欠如に起因すると思われますので、どうぞご寛恕いただきたく思います。
by tanakasan (2011-02-19 13:20) 

烏賊娘

田中和生様

お久しぶりです。烏賊娘です。
前回コメントさせて頂いた日付を確認したところ、1月16日とその翌日でした。あれからもう、4カ月も経っているのかと思うと何だか脱力してしまいます。と申しますのも、未だにやっているんです川上未映子問題……。
もっとも津原泰水さんのBBSを確認していると、そろそろ専門家の手にバトンが渡るのではないかと、そんな予感を個人的には抱いております。
ところで、遅まきながら『江藤淳』拝読させて頂きました。
江藤淳の評論は幾つか読んでおりましたので、その内容を整理する絶好の機会に恵まれたと思っております。なかでも勉強になったのは、江藤が論じた夏目漱石と小林秀雄の位置関係に関する考察です。深淵を越えようとする者と、振り返る者という指摘には唸らされました。
しかし最もためになったのは、江藤のアメリカ体験を論じたくだりです。永井荷風、安岡章太郎のアメリカ体験と比較することで、江藤がどんな困難に突き当たり、そこから何を得たのかが明瞭になっていく論理展開は何とも鮮やかでした。おかげさまで荷風や安岡の個性さえ浮き彫りになって、理解することができています。
江藤淳が生きていたら、本件に就いて何と言っていたのでしょう。そんなことを考えずにはいられません。
『新約太宰治』『あの戦場を越えて』も拝読させて頂き、ここで感想をお伝えさせて頂ければと願っております。一冊目で4カ月以上かかりましたから、今度はいつになるか判りませんが、忘れた頃にやってくるヘンな奴として呆れながらも認知して頂けていたら幸甚です。
乱筆乱文失礼致しました。最後になりましたが、これからのさらなる御健筆をお祈り申し上げております。頑張ってください。


                                    烏賊娘拝
by 烏賊娘 (2011-05-24 01:12) 

来島

創作行為が単なる盗作になってはいけないという認識はその通りだろうと思います。ただアイデア盗用=盗作というのはよくわかりません。というのは先行作品を継承し発展させて来たのが創作の歴史であるからです。写実主義、自然主義、人間主義といった近代小説の枠組にしても、そもそも日本の小説家はこれを西欧の文学から借用して来ているのです。アイデア盗用が即盗作であるとするならば、我々には近代小説の流れを組む純文学を書く資格など無いということになります。他人のアイデアの盗用を含まない純文学作品など存在しません。
by 来島 (2011-06-09 23:38) 

来島

盗作疑惑については、「本人が否定すれば取りさげる」という程度の認識で公言して良いものかどうかも疑問に思います。法的にというより道義的にということです。もし盗作でなかった場合には、一旦広まった風説をすべて除去することは誰にも出来ませんから、本人の被った不利益や不名誉はその後も部分的にとはいえ、ずっと続いていくことになります。怪しいからとりあえず公表しておけというのは、あまりに無責任な態度ではないですか。
by 来島 (2011-06-10 00:11) 

米

マスコミは、2ちゃんねらーの捏造した川上さんの盗作疑惑を全く報じず、川上さんと阿部和重さんのおめでたい結婚ニュースを大々的に報じているようで、この問題は完全に闇に葬られた感がありますが、自分で作品を読み比べず2ちゃんねらーの盗作比較検証をあてにして盗作認定してしまった田中さんとしては、その失態を恥じるべき時期に来ていると思うのですが、ご本人としてはどのように感じておられるのでしょうか?そろそろ自分の発言を撤回なさってはいかがですか?
by 米 (2011-12-03 19:03) 

烏賊娘

米さん
川上未映子さんと阿部和重さんの結婚は大々的に報じられているのでしょうか。私はネットのニュース記事を二つしか見ていないので、大々的といえるほどではないと思うのですが。
また、田中和生さんは有志による検証のみをあてにしているわけではないと思います。文芸評論家として責任をとれない発言はしないはずだと考えるからです。
川上未映子さんの盗作盗用その他の疑惑に関しては、他の業界人も言及していることです。いったい、どの失態をどう恥じ入るべきなのでしょうか。
ってかあなた、ランドール(あまな)ですよね?
by 烏賊娘 (2011-12-03 21:39) 

米

田中さんは、今後の作品制作において盗用の傾向が見られなければ発言を撤回するとおっしゃっているようですが、その検証はしているのですか?それもせずに仕事を放りっぱなし、ブログで言いっぱなしではプロの批評家としてあまりにも恥ずかしい事だと思うのですが、いかがお考えですか?
それと、この烏賊娘という人は何ですか?栗原慎一郎さんにたいして酷い誹謗中傷した人ではありませんか?なぜこの人が私にも誹謗中傷しているのか意味がわかりません。
by 米 (2011-12-04 17:21) 

米

上の文章を訂正します。
栗原慎一郎さんではなくて、栗原裕一郎さんでした。
by 米 (2011-12-05 13:39) 

米

烏賊娘さんの川上さんへの誹謗中傷をリンクしておきます。
http://unkar.org/r/book/1293299187/322
322:烏賊娘 ◆42euzUlXSM ::2011/01/06(木) 23:33:31
ミエコがAVに出て喜ぶ野郎がいるとは思えないでゲソが……。
気絶するまでホームレスに輪姦させて、気を失ったら公衆便所の
大便器に顔から突っ込ませて放置させるくらいの企画だったら
観るかもしれないでゲソがねェ。バカのひとつ覚えでキモイキモイ
と連発しているようなクソアマは、そんくらいしても懲りないん
じゃなイカって思うでゲソ。マコトは小説を云々する以前に、女を
見る目がまるでないでゲソ。よりにもよって、スコンを選んだ挙句
がこのザマでゲソからね。
by 米 (2012-01-15 17:10) 

烏賊娘

田中和生様

お久し振りです。烏賊娘です。
本日の毎日新聞夕刊の文芸時評、拝読させて頂きました。
ラジー賞に言及してくださり誠にありがとうございました。見守っていてくださったんだな、と感無量です。
全てボランティアで成り立っているこの賞も、何とか投票を終え、あとは賞品を受賞者へ渡すだけとなりました。最後まで御笑覧頂けましたら幸甚です。

『あの戦場を越えて』『新約太宰治』は……。
ら、ラジー賞のせいです!(汗)トロフィーを無事に授与し、自分の時間を充分に取れるようになってから、腰を据えてじっくり勉強させて頂く所存です。読み終えたときはまた、『江藤淳』のときと同じく、感想を御伝えさせて頂ければと願っております。

乱筆乱文失礼致しました。最後になりましたが、これからのさらなる御健筆をお祈り申し上げております。

                     烏賊娘拝
by 烏賊娘 (2012-02-28 23:33) 

烏賊娘

田中和生様

遅まきながら、『新約太宰治』拝読させて頂きました。
田中さんが本書で多用されている「言葉」、私はこれを「言説」あるいはそれによって喚起される「物語」と勝手に解釈させて頂きました。太宰に関する評論や研究書は何冊か読んでいたのですが、芥川龍之介の自殺が引き金になって津島修治が自殺未遂に及んだ経緯に就いて、初めて論理的に納得できた気がしております。これは個人的にいって、大変な収穫でした。

しかし『江藤淳』のような正攻法の文芸評論とばかり予想しておりましたので、第四章や第十章はとりわけ意外でした。田中さんの御人柄が何となく伝わってくるようで、楽しく拝読させて頂きました。

弟さんには同じフリーターとして親近感を抱かざるを得ません。またエッセイなどで触れて頂けると、ファンとしては嬉しいです。

『あの戦場を越えて』が最も拝読させて頂きたい作品だったのですが、結局この作品のみ未だ読めずにおります。必ずや入手し、拝読させて頂いた暁には、またここへ感想を書き込ませて頂ければと願っております。

時評、応援致しております。ラジー賞に参加して、その大変さがほんのちょっとですが、分かるような気がしています。乱筆乱文失礼致しました。これからのさらなる御健筆をお祈り申し上げております。


                        烏賊娘拝
by 烏賊娘 (2012-03-14 00:46) 

初めまして、みらふぃるです。

>この宣言自体には弾劾の意図はありません。

そうでしょうね。
あなたさまの文芸時評を上回る、川上未映子宣伝になっています。
糾弾ではない。応援なさりたいのですよね?


by 初めまして、みらふぃるです。 (2016-10-20 00:08) 

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